2024年1年間の記録。特別な年になりました。

2024年、1年間の記録 登山記録
2024年、1年間の記録
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2024年、1年間だけの記録を残します。

この年は、精神状態が非常に悪い1年でした。

手関節の腫れや痛みも、続いていたことなどから、登山の記録が書けるほど行っていません。

なので、このページは2024年1年間の、私の記録という形にしました。

 

2024年は発作ではじまった

元旦に起きた、能登半島地震。

私は温泉帰りの車の中で、必死に非難を呼び掛けている、アナウンサーの声を聴きました。

とても緊迫したその声と、車が止まると映るその光景に、ものすごいショックを受けたのです

パニック発作

私は長年、パニック発作とうつ病を患っています。

登山は、それを治すために始めたんです。

しかし不安になるようなことがあると、咳発作から過呼吸を起こしてしまいます。

自宅に帰って、テレビでニュースを見てから、ずっと息苦しい状態が続いたのです

過呼吸発作を起こしてしまった

1週間ほどして、テレビの報道も減ってきたし、報道される時はテレビを消していました。

少し落ち着いたので、山の中へ入って気持ちを癒そうと、竜崖山へ行ったのです。

元気にお喋りしながら歩けて、下山した途端に息苦しくなりました。

その日は暖かだったので、水分不足で貧血を起こしたかと思ったのです。

発作だとは、全く感じなかったんですよね。

対策はしたけど動けなくなった

車に乗った途端に、酷い咳発作が起こり、同時に息が出来なくなりました。

でも過呼吸とは少し様子が違ったので、まだ発作を起こしてるとは、思いませんでした

1月なのに酷く汗をかいたので、自宅に戻って直ぐにお風呂へ入りました。

ところが、めまいがしてきて息苦しさは増し、動けなくなってしまったのです。

救急病院へ

息が出来なくて死にそう!本当にそう感じました。

過呼吸じゃ無くて、息が吸えない!私はそう言う感覚でした。

救急病院は、家の直ぐ近くにあったので、救急車を呼んで待ってるより、行っちゃった方が早いと温暖しました。

ところが、救急車で行った時に入るドアは、閉まっていて叩いても反応がありません。

ついにに倒れてしまった

救急車が入る場所に、車を止めて置くわけにもいかないので、私を下ろして主人は駐車場へ。

その直後でした。

体から力が抜けて、倒れてしまったのです。

たまたま出て来た看護師さんが私を見つけて、ストレッチャーを持ってきて運んでくれました。

体に異常は無かった

心電図・血圧・酸素濃度・肺のレントゲンという、検査をしたけど異常は無かったんです。

しかし、そのころ私は全身が硬直したり、攣ったりで酷い痛みに苦しんでいました。

結果的に、過呼吸発作であると診断され、発作を抑える薬を飲まされました。

しかし、普段から飲んでる薬もあるから、効きすぎたようで数回呼吸が止まったようです(^^;)

帰宅

看護師さんが頻繁に見てくれて「傍にいるから安心して、ゆっくり深く息を吐きだしてね」

色々と言ってくださって、少しずつ硬直や攣っているのが、治まってきました。

病院に着いて2時間半くらいでしょうか?、

やっと起き上がれるようになったので、歩いて車にのり帰宅しました

酷く疲れたからか、帰宅してからの記憶は、全くないんですよね(^^;)

主食が食べられなくなった

ストレスの影響か、食事が食べられなくなってしまいました。

1人前のおかずも、半分も食べられるず、ご飯も麺類も食べる余裕が無くなりました。

とにかく栄養不良になったら困るからと、主食は抜いておかずだけを頑張って食べていました。

そしたら、アッと言う間に5kgも体重が落ちて、筋肉も無くなりました。

 

リハビリ登山開始

1月も後半になって、動かなかったら筋肉が完全になくなる、そんな恐怖感からリハビリを始めました。

城山と日和田山へ

東京都あきる野市 城山 434m

埼玉県日高市 日和田山 305m

どちらも、登山装備が無くても登れる山です。

登山を始めた全くの初心者気分で、山歩きを楽しみました。

あなどれない低山

 東京都あきる野市 天竺山 310m ~ 唐松山 307.6m

超低山ですけど、小さな山だからこその、急な登り下りがあります。

ロープを掴まないと怖いような所もあるので、スニーカーでは行かれない山です。

天狗岩は岩山

埼玉県 石尊山~官ノ倉山 344.2m

この山は、ゆるゆるなので登山装備がなくてても、登れる入門者向けの山です。

同じく埼玉県 天狗岩~城峯山 1.037.3m

天狗岩は、滑落事故も起きている上級者向けですが、乘峯山は初心者向けの山です。

天狗岩は登る技術より、山頂の狭さが危険なんです。

膝を曲げてしゃがむ事さえ、出来ないほどですよ(^^;)

4月も低山だけど距離を伸ばした

埼玉県飯能市 愛宕山 412m~天王山 475m~大仁田山 505m

東京都西多摩郡日の出町 麻生山 794m(800m)

同じく東京都青梅市 岩茸石山 792m

どれも低山ではあるけれど、少しずつ歩く距離を伸ばしていきました。

また傾斜がキツイ所も、歩けるようになりました。

良く覚えて無い5月(笑)

東京都青梅市 青梅丘陵ハイキングコース

埼玉県 天覧山195m  多峯主山271m

なぜ5月は、これだけしか歩いて無いのか、記憶が全くありません。

記憶が無いという事は、何か精神的に大きなストレスが、あったのかも知れません。

高山へ!

東京都あきる野市 城山 434m

同じく東京都あきる野市 網代城山 331m

群馬県と長野県にまたがる黒斑山 2.404m

 栃木県 朝日岳 1.896m 茶臼岳 1.915m

標高300mとか700mとかの、低山ばかりだったのに、急に2000m超えの山へ!

黒斑山は、たぶん3回目だったと思います。

登山道もしっかい覚えていて、どこで休憩するべきかなども、わかっているから選びました。

やっぱり2000mくらいの山は、登山をしてると言う感覚で、楽しかったです

移住を真剣に考え始めた9月

精神的なことなど色々考えて、今年中に移住をしたいと決めました。

下見もかねて、長野県の山へ行ったのです。

斑尾山は登山口に、まだらお温泉とオートキャンプ場があります。

初めて車でテント場へ行って、な~んて楽なんだ!と、のんびりできました。(笑)

長野県 斑尾山 1.381m  大明神岳 1.360m

移住の準備で登山は少なく

 山梨県小菅村  小焼山 1322m 鶴峠から

引っ越しの準備を始めて、断捨離をしていました。

引っ越しでも無い限り、思い切った断捨離は出来ませんからね(笑)

2024年引っ越し先が決まり手続きに

長野県への移住が決定し、その手続きのために長野へ行きました。

しかし、長野県まで行って不動産屋の手続きだけなんて、登山者にとっては勿体ない!!

なので上高地の小梨平にテント泊して、今までは通過しているだけだった、上高地をお散歩しました。

上高地を散策

槍ヶ岳・奥穂高岳・西穂独標と、3回来ている上高地です。

でも、1度も河童橋を渡ったことがありません(笑)

下のように、写真を撮るだけでした。

河童橋と穂高連峰

小梨平のテント場

このテント場に入るのも、初めてなんですよ。

ここを通りながら、ここなら楽々にテント装備で来れるね、そんな話をしていました。

小梨平でテント泊

行ったことがない向こう岸

初めて西穂独標へ行った時は、上高地から登りました。

でも、行きも帰りも同じ道を通ったので、良く見ていた向こう岸へ入ったのは、これが初めてだったんです。

梓川沿いをお散歩

懐かしい登山口

ここから登った時は、独標まで行かれる登山レベルになった自分に、ワクワクしていました。

でも、西穂山荘までの道は、長くて険しくて辛い登山でしたね。

初めて西穂独標へ行った時はココから登りました

2024年11月1日長野県民に

11月5日に、引っ越しが終わりました。

片付けや市役所・警察などの手続きをし、完全に長野県民になりました。

大きなストレスだった

生まれも育ちも、最初の結婚でも、東京から出たことが無かった私。

実家から、車で40分以上離れたことが無かったんです。

電車でも車でも、1人では実家へ帰ることも出来ない距離。

兄弟も知人も、1人も居ない土地。

土地勘も、全く無いしらない場所。

発作続きと酷いアレルギー症状

引っ越しする少し前から、咳が出始めて市販の咳止めを飲んでいました。

疲れで風をひいたかなぁ、そんな軽い気持ちだったのですが。

引っ越しが終わると、毎日毎日酷い咳発作が続いたのです。

心療内科で咳止めを貰いましたが、時すでに遅し。

市販薬を飲み続けたことで、全身が真っ赤に晴れ上がり、もの凄い痒みに苦しみました。

2か月ほどで落ち着いた

元旦の地震で、しっかりした食事が出来なくなっていました。

それも、夏前には回復したものの、引っ越しストレスでまた、食べられなくなっていました。

そして、買い物以外は家に閉じこもっていた私。

咳発作やアレルギーなどが、ひとまず落ち着いたので、お散歩に出かけきました。

臥龍公園

須坂市の臥龍公園は、昔TVの番組で相葉雅紀さんが来て、カンガルーのハッチが居たことから、有名になりました。

ハッチは既にお空へ帰ってしまいましたが、その動物園をゆっくり見てから、臥龍山ま登って来ました。

9月の登山が最後でしたからね、山へ入ったのは。

でも緩い道だったから、山頂まで行くことが出来ました。

次に登った坂田山が右上に見えてます
森づくり県民税??スゴイ!!

綺麗な紅葉

ちょうど紅葉が見ごろで、とっても綺麗でしたよ。

引っ越してから食べられない日が続いたので、お正月の後と同じ体重に戻ってしまいました(汗)

紅葉が綺麗でした
立派な説明書き

武甲山だ!!

思わず叫んでしまいました(笑)

そして、もう行くことは無いのかなぁって思うと、寂しい気持ちにもなりました。

だって、武甲山は何回も登っている山だから。

思わず『武甲山!』と叫んでしまった

 

2024年の締めは坂田山

臥龍山を楽々歩けて、筋肉痛にもならなかったので、気を良くし翌週は坂田山へ行きました。

3か月ぶりに、装備を整えての登山です。

ザックに、飲み物を1ℓ入れただけなのに、ふとももに凄く重みを感じました。

また、この日はとても寒かったのに、ネックウォーマーと手袋を忘れた私。

すっかり『登山』を忘れてしまっていたようです。(汗)

お寺の横から登ります
道標は無いけど励ましの言葉が嬉しい
筋力が戻ったら登りたい
小さいけどお社がありました
家から見える山を山頂から見てる

2024年のまとめ

元旦に能登半島地震が起こり、その実況中継をテレビで見てしまった私。

そしてパニック障害の状態が非常に悪くなり、大きな発作を起こして救急外来で治療を受けるほどに。

そんな状態だったので、食事もしっかり食べることが出来ず、体重は落ち筋肉もすっかり落ちました

仕事が出来なくなった

やっと春になるころ、家を出ることが出来る状態になったので、3時間の仕事をはじめました。

ところが、通勤電車(たった4駅)の中でも発作を起こしてしまい、ドクターストップで辞めたのです。

山にも行けず

心の具合が悪い時も、登山をすればストレス発散になって、調子が良くなっていたのですが。。。

でも息子のことも色々あって、中々元気になれず、山歩きをする気力もありませんでした。

長野県移住が決定

そんな状態だったうえに夏の猛暑が重なり、山へ行ったのですが熱中症になり1時間で敗退。

夏が終わると、長野県への移住話しが進んだので、断捨離と家中の大掃除を始めました。

その掃除で、良くなっていた手の関節炎&腱鞘炎がかなり悪化。

だから、痛みと不安や期待の入り混じる心は、さらに不安定になり発作を起こす回数が増えてしまいました。

長野県民に

ついに長野県民になりました。

これは長年、「いつかは長野県に住みたい」と言い続けていた、私と主人の夢でした。

仕事の関係で、息子は一人暮らしをすることになり、不安だと言っていたので可哀想でしたが。

私は、始めて東京を出ての生活でした。

長野県の生活

住み始めて分かったことは、すごく静かだという事。

そしてもう1つ驚いたのは、公共交通の便の少なさでした。

だって、国道が近いのでお店はいっぱいあるし、住宅街で家も多いんですよ。

それなのに、登山口近くのバス停みたいに、1時間に1本という少なさ(-0-)

それでも来て良かった!と、本当に思っていたのですが、環境の変化が心へ大きな負担になっていたようです。

毎日パニック発作

夕方になると、パニック発作。

買い物に行くため、車に乗っているだけでも、行き交う車を見て発作。

東京より人が少ないのに、お店の中で発作。

肋骨骨折

やっと坂田山を歩けるまでに回復したのに、フローリングの床で足を滑らせ、テーブルに胸を強打

その時は、大した痛みも腫れもアザも無かったんです。

でも、数日後の朝、目覚めた時にいつものように伸びをしたらポキッ!!そして激痛が。

レントゲンが見れない院長

主人は仕事だったので、近い病院を探して行きました。

そしたら、たまたま整形外科のドクターはお休みで、院長が診てくれたんです

しかし!レントゲンを見ても良く分からず、看護師とともに「どうかなぁ?」とか、相談なんかしちゃってる(イライラ)

私は40年近く整形外科に通っているので、レントゲンを見て判断が出来るのです。

ポッキリは、折れていなかったけど、若干の怪しい線が入っていました。

これを「骨には異常無いですよ」と言った院長。

この病院には、2度と行きませんから。(^0^)

来年こそは

今年は、そんなこんなで、とても不健康な1年を過ごしてしまいました。

来年こそは、長野県の山々を歩き回りたいと思います。

そして、私のブログでご紹介しますね。

お楽しみに。

 

 

 

 

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